Sep 22, 2009
生活を守る害虫駆除サービス
地球は昆虫の惑星と言われるほど、虫たちの天下です。ゴキブリ、シロアリなど、私達の生命を脅かす害虫も少なくありません。害虫駆除は、住宅の重要なメンテナンス。知らない間にシロアリの家の土台を食べれたとか、軒下にスズメバチが大きな巣を作っては、命も危険です。業者害虫駆除サービスに任せるのが最適です。私たちが生活をしていると同じように近くに住んで、ある日、表示されて不快にされる害虫。若干の蚊やハエ、アリなどでしたら何とか退治するのは容易ですが、ゴキブリや幼虫、カメムシ程度になると害虫駆除も難しいし、それが大量にあると自分で害虫駆除をする考えはありません。また、蜂などの危険な害虫もあるのでお悩みの場合は、業者にお願いすれば安全で良いと思います。
「いとこいさん」の愛称で親しまれ、兄の夢路いとしさんとのしゃべくり漫才で人気を集めた喜味こいし(きみ・こいし、本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが、23日午後1時38分、肺がんのため亡くなった。
83歳だった。告別式は27日午前11時半、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115同市立葬祭場やすらぎ天空館。喪主は長男、敏昭氏。連絡先は大阪市北区野崎町3の2和光プロダクション。
埼玉県川越市生まれ。旅回り一座の家庭で、幼い頃から2歳上のいとしさんと舞台に。1937年、上方漫才の草分け、荒川芳丸に入門、荒川芳博・芳坊の名で子供漫才を始めた。戦争中は志願兵として陸軍に入り、爆心地に近い広島の兵舎で被爆、病院で終戦を迎えた。48年に「夢路いとし・喜味こいし」と改名した。
飄々(ひょうひょう)としたいとしさんに対し、だみ声で鋭い突っ込みを入れる姿が人気を集めた。2003年にいとしさんが亡くなった後も、上方漫才界の“ご意見番”としてテレビでコメンテーターを務めていた。
長年交流があった落語家の桂米朝さんの話 「いとこいさん」の漫才には品がありましたな。どぎつい言葉は使いません。上品の極みや。今の漫才さんの中に受け継いでくれる人が居るかしらん。私より二つ年下やが、芸歴は古いんです。昔の芸界の様子を実によう知ってはりました。彼と古い話をしだすと、もう止まりません。最近も放送局の控室で何時間も話し込んだことがありました。ホンマに寂しい限りです。
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実兄の故・夢路いとしさん(享年79)とのコンビで“いとこい”の愛称で親しまれた上方漫才界の重鎮・喜味こいし(本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日午後1時38分、肺がん(小細胞がん)のため亡くなった。享年85。通夜は26日午後7時、葬儀・告別式は27日午前11時半より大阪市立葬祭場「やすらぎ天空館」(阿倍野区阿倍野筋4-19-115)で執り行う。喪主は長男の敏明氏。
喜味こいしさんの写真付きプロフィール
公式プロフィールによると、こいしさんは1940年、上方漫才の草分け・荒川芳丸に入門。兄弟コンビの荒川芳博・芳坊として漫才を修行し、子供漫才師として舞台デビュー。48年に若手漫才集団(MZ研進会)を結成し、芸名を夢路いとし・喜味こいしに改名した。しゃべくり漫才で人気を博し、2003年9月25日にいとしさんが亡くなるまで漫才コンビを続けた。
漫才以外にもラジオ、テレビ、映画などで幅広く活躍。秋の紫綬褒章、大阪市指定無形文化財、上方お笑い大賞、ラジオ大阪上方漫才大賞、菊池寛賞など受賞歴多数。懐かしの名人芸や漫才、音楽ショーで構成した漫才バラエティー公演「いとこい一座」として各地で公演も行った。
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“いとこい”の愛称で親しまれた兄弟漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の喜味こいし(きみ・こいし、本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日午後1時38分、肺がんのため大阪市内の病院で死去した。83歳。しゃべくり漫才の最高峰として活躍し“漫才の教科書”とも呼ばれる存在だった。2003年に実兄の夢路いとしさん(享年78)が亡くなってからは一人で活動。古典落語のように語り継がれる名作漫才を数多く残し、昭和の名漫才師が旅立った。
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兄の故夢路いとしさんとの「しゃべくり漫才」で人気を集めた漫才師、喜味こいし(きみ・こいし、本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日、肺がんのため亡くなった。83歳。葬儀は27日午前11時半、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115の市立葬祭場やすらぎ天空館。喪主は長男敏昭(としあき)さん。
埼玉県生まれ。父が新派の役者で、4歳で初舞台を踏んだ。1937年に上方漫才の草分け的存在だった荒川芳丸に弟子入り。いとし(本名・篠原博信)さんと「荒川芳博・芳坊」の名で子ども漫才コンビを組み、40年に初舞台を踏んだ。48年、「夢路いとし・喜味こいし」と改名。「交通巡査」「わが家の湾岸戦争」など近代的で上品な話芸の漫才を披露し、名コンビと言われた。舞台やテレビにも数多く出演し、毎日放送の視聴者参加番組「がっちり買いまショウ」での軽妙な司会も人気を集めた。03年9月にいとしさんが亡くなった後は、タレントとしてテレビや新聞で活躍していた。
コンビで上方漫才大賞(69年)、芸術選奨文部大臣賞(92年度)などを受賞。93年に紫綬褒章、98年に勲四等旭日小綬章を受章したほか、99年には大阪市から漫才では初めての無形文化財に指定された。また、自らの原爆の被爆体験を各地で講演していた。
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