Mar 10, 2010
よく利用するようになったコピー用紙
私は最近、コピー用紙を頻繁に使用されます。学生の時も美大に通っていたので、何か物を作成するときに絵を描いたり、PCで作成したイラストを印刷して表示したり、コピー用紙、紙にコラージュの様々な紙を貼って見てドイトオトスプニダ。しかし、社会人になってから別の紙を使用しないようになっていました。家に多くのコピー用紙があり、色もそのようなスヘトギので、また何かに使用するではないかと思っていました。この時期になると、年賀状を作成できるので、何度部の印刷に利用しています。残りはわずかの家計簿をつけたり、工夫して使うようになりました。私は、以前の会社で、コピー用紙の補給要員でした。コピー用紙がないと本当に困るしまいますからね。今会議で使用しなければならない書類のコピー中にコピー用紙がないなんて事態は最悪です。会社は山のように、コピー用紙を購入して置いていました。も、まだその山だんだんなくなっていくんです。コピー用紙の消費量ってすごいですよね。
◆阪神1―3巨人(21日・甲子園) 沢村がプロ初勝利を挙げた。初体験だった甲子園の大観衆4万1713人の前で、阪神の強力打線を7回6安打1失点に抑え、2試合目の登板で白星を手にした。6回にはラミレスが先制2点打、7回に好守を見せた長野が8回に適時打とバックも援護。ドラフト1位右腕の好投で、チームも貯金1として2位タイに浮上した。
どこでもいい。とにかく当たれ。沢村は必死にグラブを差し出した。1点差に迫られた6回2死二塁。俊介の中前へ抜けようかという一打を、執念ではじいた。弱まった打球を二塁・脇谷が処理した。「まだ1点勝っている。絶対に最少失点で踏ん張ろうと思っていました」。ヤマ場を越えた。右手でグラブを、思いっきりたたき上げた。
プロ2度目の先発マウンドは、中5日で回ってきた。初回の初球からこの日最速の154キロを計測するなど飛ばしたが、制球力を欠いた。それでも強気に内角を突き、球威でねじ伏せる。4回以降からフォークを交ぜ、相手に的を絞らせない。7回6安打6奪三振1失点。栃木・佐野日大高時代に目指したが、届かなかったあこがれの甲子園のマウンドで、プロ初勝利を飾った。
「阪神ファン、巨人ファンの素晴らしい応援の中で投げられて、本当に楽しかった。野手の方々が声をかけてくれて、点を取っていただいて、本当に感謝しています」。真っ先に支えてくれたナインに頭を下げた。原監督は「今後大きく伸びる上で、この甲子園での1勝をさん然と輝くものにしてほしい」とさらなる飛躍を期待した。
キャンプインから開幕まで「時の流れがとても早かった」という。阿部や内海、東野らをはじめとした先輩陣にかわいがられ、充実した時間を過ごせたのも、実力を認められたからだ。キャンプのブルペンは年齢順で、空いたところから入る。開幕投手を務めた東野ですら「すぐ横であんな速い球投げられたら、こっちが力んでしまってフォームを崩す」と並んでの投球を本気で嫌がった。
生まれながらにして、持っている才能がある。MAX157キロの剛速球、切れ味鋭い変化球もたぐいまれな才能だが、それは不断の努力で身につけたもの。何よりの武器は洞察力だ。「打者が打席に立ったとき、ここに投げたら打ち取れるのかな、っていうのがぼんやりと見えるときがあるんですよ」。心がけるのは「常に冷静に―」。打席での打者のしぐさや雰囲気などを感じる力、視野の広さ、自分を律する力がある。
プロとしての“決意”を、初のテーマソングに込めた。今季、主催試合で登板する際に球場内に流れる曲を、米女性シンガーのテイラー・スウィフトの「ユー・ビロング・ウィズ・ミー」に設定した。「まず誰も使ってない曲が良かったんですよ。それに全米で一番売れたんです」。同曲を収録したアルバムが、09年の全米総合売り上げ1位を獲得したシンガーにあやかろうとした。『オンリーワンであり、ナンバーワンに』。そんな投手になりたいと願をかけた。
プロ初白星を挙げたが、満足はしていない。「これからは中継ぎの方を休ませられるような投球をしたい」。初めて手にしたウイニングボールは「これまで育ててくれた両親に渡そうと思います」。巨人・沢村伝説に、確かな1ページを刻んだ。
阪神・新井貴「ビデオとイメージは少し違ったけど、いい投手に変わりがない。投げっぷりがいい」
阪神・鳥谷「真っすぐはスピードがありました。変化球も思いきって腕を振ってきていましたね」
阪神・城島「ジャイアンツの先発ローテの中心として投げていてもおかしくない投手。コースにビシバシ(投げる)という感じはなかったけどね。初対戦だからといって、油断していたわけではないですけど、次に対戦する時までに、しっかり対策を練っていきたい」
◆沢村栄治と甲子園 京都商(現京都学園)時代に1933年から34年にかけて春2度、夏1度出場、6試合で3勝3敗だった。34年春の堺中(現三国丘)では17三振を奪って2安打完封するなど、6試合のうち2けた奪三振5度をマーク。甲子園での計53イニングで79三振を奪った。巨人入団後も甲子園ではデビューから10連勝含めて14勝5敗の高勝率。36年9月25日にはプロ野球初のノーヒットノーランをタイガース(現阪神)相手に達成している。
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